占領軍も複雑な心境「もう死人はいらない」

占領軍も、複雑な心境を抱いていただろうと貴志教授は考えています。

(ノートルダム清心女子大学 貴志俊彦教授)
「占領軍からすれば『日本に勝った』というセレモニーをするのが1946年8月15日。スタートは市役所前、大供。大雲寺を曲がって北上してこの前【画像⑮】をパレードしていた」

【画像⑮】

8月15日、日本各地で終戦や平和の回復を唱えるセレモニーが行われました。しかし、岡山で開催されたのは、連合国軍が日本に勝利したことを大々的に祝う異例のパレード【画像⑯】だったといいます。

【画像⑯】

(ノートルダム清心女子大学 貴志俊彦教授)
「『俺ら勝ったんだよ』というパフォーマンスは、占領統治にとってプラスになるかというと、かえって反抗心というか結果的に占領政策が円滑に進まなくなる」

「そういうパフォーマンスを岡山でやったというのは非常に異色」

その理由は、岡山で占領政策を統括したコーワン少将【画像⑰】にあるといいます。

【画像⑰】

(ノートルダム清心女子大学 貴志俊彦教授)
「彼は、ビルマ戦線で実際に日本軍と戦っていた」

戦時中、ビルマで日本軍と死闘を繰り広げたのが、岡山の占領政策にあたっていたコーワン少将とその部隊でした。

コーワン少将の息子は、日本軍との戦いの中で死亡。そんな彼らの思いを解消するため、大々的なセレモニーが必要だったのではと考えられています。

しかし、その後日本で大規模な地震が起きた時、彼らは救援物資などの支援を行うのです。

(ノートルダム清心女子大学 貴志俊彦教授)
「彼らにとっても悲劇だった。戦争には勝ったけども悲劇だった。息子も亡くなり部隊の仲間も亡くなったし」

「もう死人はいらない、という気持ちはあったような気がする」

「だから占領政策を担ったあと、コーワン少将は退官してスコットランドに帰る」

【画像⑱】

これまでほとんど語られて来なかった「占領期」改めて歴史を知り、自分ごととして捉えてほしいと貴志教授は語ります。

(ノートルダム清心女子大学 貴志俊彦教授)
「戦争が起これば皆が巻き込まれる。それはあなた自身であり、あなたの家族であり‥」

「世界を見て、歴史を見て実態を伝えていく必要がある」