ドキュメンタリー映画『太陽(ティダ)の運命』は、米軍基地の負担と本土の無理解に苦しみ抜いた沖縄県知事たちの姿を通じて、戦後沖縄を生きた人々を描く作品です。7月15日放送のRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』に佐古忠彦監督が出演し、同番組のコメンテーターを務めている、RKB毎日放送の神戸金史解説委員長と対談しました。
佐古監督につながる筑紫哲也氏のDNA

RKB神戸金史解説委員長:ドキュメンタリー映画『太陽(ティダ)の運命』は、全国で公開され、話題になっています。福岡市でも、7月18日からKBCシネマで上映が始まります。監督のTBSテレビ・佐古忠彦さんにスタジオにお越しいただきました。
佐古忠彦監督:おはようございます。よろしくお願いします。
神戸:この声を聞いて思い出す方も多いと思いますが、佐古さんは『筑紫哲也 NEWS23』のキャスターを1996年から10年間続け、ドキュメンタリーのプロデューサーなどをした後に『報道特集』のキャスター。そして沖縄をテーマとした映画を手がけています。映画は今回で4本目。沖縄は、ライフワークですね。
佐古:そうなりました、結果的に。

【佐古忠彦】
1988年、東京放送(TBS)入社。スポーツ番組で中継やニュースを担当後、1994年から報道担当に。1996年~2006年、『筑紫哲也 NEWS23』でキャスターを務める。沖縄、戦争、基地問題などを主なテーマとし、近年は『報道特集』で特集制作を続けている。2017年、劇場用映画初監督作品の『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』を制作。文化庁映画賞文化記録映画優秀賞、米国際フィルム・ビデオフェスティバル ドキュメンタリー歴史部門銅賞、日本映画ペンクラブ賞文化部門1位を受賞。続編となる『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯』(2019年)で平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞受賞。2021年に『生きろ 島田叡―戦中最後の沖縄県知事』を監督。2025年『太陽(ティダ)の運命』が監督4作品目。著書に『米軍が恐れた不屈の男 瀬長亀次郎の生涯』(2018年、講談社)、『いま沖縄をどう語るか(共著)』(2024年、高文研)。
佐古:1996年から参加した『筑紫哲也NEWS23』で、筑紫さんの横に座ったことが、沖縄と関わる大きなきっかけでした。
神戸:筑紫さん、沖縄への思い入れがすごかったですものね。
佐古:筑紫さんは、朝日新聞の記者時代、本土復帰前の沖縄特派員でした。筑紫さんの誕生日は6月23日。沖縄慰霊の日なんです。「そういう日だと知った日から、自分の誕生日を祝えなくなった」と言っていたんですよ。番組では本当に多くの先輩ディレクターたちが、沖縄に行ってさまざまな特集を作って帰ってきたのですが、いつの間にか自分もそんな存在になりました。

【筑紫哲也】
1935年大分県生まれ。ジャーナリスト。朝日新聞で政治部、沖縄特派員、ワシントン特派員、『朝日ジャーナル』編集長を務める。1989年にニュースキャスターに転じ、TBS『筑紫哲也 NEWS23』メインキャスターに。2008年、肺がんのため死去。

佐古:私が『23』に参加したのは1996年でしたが、その前年に少女暴行事件があり、基地の実像が大きく全国にも伝えられることになりました。そして、未だに続く普天間基地の移設問題の大きなスタートにもなった年だったのです。沖縄に行く機会がどんどん増えていって、気がつくと、30年近く経っていました。