冬の足音迫る11月15日―。
横田めぐみさんは、中学校からの帰宅途中に北朝鮮に拉致されました。
45年前のことです。

86歳になった母・早紀江(さきえ)さんは、願っています。
めぐみさんと通いなれた道を再び歩きながら「よく帰ってこられたね、と言ってあげたい」と。
続きのない写真
赤ちゃんだったころ、初めてぱっと顔を上げた瞬間。
うれしくて、うれしくて、シャッターを切りました。
テレビの横で腰に手をやり、おすまし顔の写真。
父・滋(しげる)さんがプレゼントした洋服を着ています。
小学6年生のときの教室での様子。
「ひょうきんです、すごく。面白いですね」
「両手を上げているときもあるしね。はーい!なんてやっているときもあるし」
めぐみさんの授業参観があれば、夫婦で連れ立って欠かさず顔を出していたそうです。
【めぐみさんの母・横田早紀江さん】
「お父さんも一緒に行ったりとか。あの人は写真を撮りまくるからね。『写真ばっかり撮っていないで授業の様子を見てください!』なんて先生に怒られちゃったりして…。『もう~』って言って私が怒って」

愛情にあふれた家族写真の数々。カメラマンは滋さんです。

「お嫁に行くときにでも持たせようか」と 考えていたこれらの写真には
…続きがありません。
1977年11月15日。
新潟市立寄居中学校の1年生だっためぐみさんは、部活動を終えて家に帰る途中、自宅まであとわずかのところで忽然と姿を消しました。

【めぐみさんの父・横田滋さん(当時45歳)】
「みんなで一日も早く帰ってくることを待ちわびているところなんです」

いつまでも仲良く と書いてある手紙
めぐみさんの親友・真保恵美子さん(57歳)から、新潟小学校の6年生のときにめぐみさんから送られたメッセージを見せてもらいました。

【めぐみさんの親友・真保恵美子さん】
「ボンボさん、君とは4~5か月の付き合いね。中学は寄居でしょ。もし同じ組になってもならなくても一緒に遊ぼうね。いつまでも仲良くしましょ。って書いてありますね…」

2人は、小学校では合唱部に、中学校ではバドミントン部に一緒に入り、お互いのことを『ヨコ』『ボンボさん』と呼び合っていました。

「ヨコらしいなって本当に思いますね。ボンボさんって伸ばすのも、すごく抑揚をつけて『ボ~ンボさん』って感じで、あの高い声でよく呼ぶので。思い出しますね」
めぐみさんの弾むようなソプラノの声が今も耳に残っているそうです。

【めぐみさんの親友・真保恵美子さん】
「廊下のすみっこで会って、『ねえねえこの前、なんとかって歌を習ったの』て言って歌い出しちゃったりとか、海を見ては『海は広いな大きいな~』って歌い出したりだとか。掃除をしていても『きょうの音楽のときの歌、こんな感じだったよね』みたいに歌ったり…」

賑やかで思いやりにあふれた、大好きな友達・めぐみさん。
拉致されたあの日は、たまたま一緒に下校していませんでした。

【めぐみさんの親友・真保恵美子さん】
「あの日に誰が連れていかれていても不思議はなかったと思うし、入れ替わっていたかもしれないという思いもありますし…。悔しくて気の毒で、申し訳なくって」