「家族を失うところだった」教訓を語り継ぐ決意
実は、大原ハイツには土石流が2度襲いました。小川さんが避難を始めたのは1回目の直後。妻と小学生の孫を連れて自宅を離れ全員が助かりました。
しかし「もっと早く避難していれば、家族を危険な目に遭わせずに済んだ」と、いまも後悔の念を抱いているといいます。

大原ハイツ復興の会 小川直明 代表
「孫は私の手をぎゅっと握り、ブルブル震えていた。『大丈夫だろう』と思い込み、大切な家族を失うところだった。明るいうちに安全な場所に避難してほしい」
熊野第4小学校 6年生
「大原ハイツの住民が亡くなった悲しみ・準備しておくことで守れる命が増えると分かった」
「私たちのようにあまり覚えていない世代に繋いでいくことはすごい行動だと思った」
西日本豪雨の教訓は、当時を知らない子どもたちにも受け継がれようとしています。

家族連れ(2・4歳の父親)
「後に伝えられる施設があれば一緒に行きたい。自分たちは経験している。毎日生きることは当たり前でないと感じてもらうよう話したい」
熊野中学3年生
「学校の生徒に慰霊集会でどのような活動をしたのか報告するため動画を撮影していた。今後入学する生徒にも、学校の先輩が命を落としたことを忘れないでほしい」

追悼集会では「あすも笑顔あふれるように」という子どもたちが考えたメッセージがキャンドルで描かれました。