戦争を体験した人やその意思を継ぐ人、それぞれの思いをシリーズでつなぐ「#あなたの623」。今回は、名護市で老舗沖縄そば店を営む金城文子さん98歳の体験です。

名護市の老舗そば店「我部祖河食堂」。厨房に立つのは、金城文子さん98歳。戦後、夫の源治さんと生まれ育った我部祖河で始めた店は、58年にわたり地域の人や観光客に親しまれてきました。

金城文子さん
「お客さんがね、喜ぶ姿、ごちそうさまって帰るところがうれしいんですよね」

文子さんは沖縄戦当時18歳。兄が出征し、姉が南洋に移民するなか、両親を支えるため島にとどまり、本島北部・やんばるで戦争を体験しました。戦後80年たった今も、日本兵や米兵が住民に行った行為は、忘れることができません。

「私の同級生がね、男の子だけど、 あっちが逃げてきてしまって、日本兵に捕まって、海に、水に溺れさせて亡くなった。昔の思い出として非常に悲しい思い出だけどね」

殺害されたのは、故郷を守るために招集された「護郷隊」の少年兵でした。隊を抜け出した見せしめとして命を奪われたといいます。

「あの子は、怖かったんだはずね、非常に。みんな、竹槍、あれを持たせよったからね。何も、銃もないさね」

1945年4月、アメリカ軍が名護に侵攻。

「早く逃げないと、もう上陸だよ。 沖縄に上陸したよって話聞かされてから、山の方に小屋作ってね、残った人たちみんな、避難したんですよ。もうアメリカが(銃を)パンパンして来たんですよ、上陸した後だから」

我部祖河一帯に広がる軍事用の薬草園に拠点を構えた米軍。山で避難生活を送る住民を脅かしました。