熊本県南部を襲った2020年の豪雨災害から7月4日で5年になります。豪雨災害は地域経済、とりわけ観光の街・人吉には大きなダメージを与えました。球磨川とともに歩んできた「球磨川くだり」の今を見つめます。


100年以上の歴史がある球磨川伝統の『球磨川くだり』です。
大阪から「波があって水がかかったり楽しかった。あー楽しかった」
愛知から「初めて子どもと乗れたので思い出になりました」
広島から「豪雨で川が変わったという話を聞いて、よくここまで復興できたなと思って」


船頭を務めるのは入社24年の藤山和彦さんです。

川の流れを読み、「キャ板」と呼ばれる道具を巧みに操ります。川から眺める風景もこの5年で大きく変わりました。
球磨川くだり 藤山和彦さん「5年前の水害の時には、真ん中の橋の部分だけ流されていたんですよね、色が違うのが分かる」

豪雨災害では、発船場の一階部分が浸水して、係留していた12隻の船も下流に流され、中には、4キロ離れた住宅の庭から見つかった船もありました。

濁流で川底の形が変わり、安全が確認されるまで運航を休止したため、仕方なく職場を離れる人もいました。それでも残ったスタッフたちは、川に堆積したゴミをひとつひとつ取り除き、復活の日を信じました。
球磨川くだり 瀬﨑公介社長(当時)「球磨川くだりが再建をあきらめてしまったら、この地域の復興への活力を削いでしまうのではないか。意地でも再建しようと」

そして、新たな複合施設「HASSENBA」(発船場:はっせんば)が完成し、新たなスタートを切ったのです。
断続的に降り続く雨
球磨川くだり 藤山和彦さん「お客様が安全に乗り降りできる場所が確保できないと運航ができない」
梅雨の時期は、川が増水し、運航ができないこともしばしばあります。加えて、頭が痛いのが船頭やスタッフの人手不足です。

球磨川くだり 藤山和彦さん「当日来られても乗れないという状況が2024年も多くあったので、できるだけ受け入れをやりたいと思うが、スタッフ不足という課題が」

全盛期には50人以上いたという船頭も徐々に減少し、特に被災後の離職で現在は6人にまで減りました。併設したカフェも休業を余儀なくされています。
少ない人員の中、スタッフのまとめ役、藤山さんもフル回転です。
船の準備から運航、そして上流への人と船の運搬、それをピーク時には1日に5回以上も繰り返します。
梅雨明けが早くなった2025年は、長くなる夏場を考えると、このままの人数で運航していけるのか不安な面もあるといいます。
球磨川くだり 藤山和彦さん「ご高齢でありながら体力仕事ということで心配な面もあるので、できるだけ若い人に船頭になってもらって、この事業が続けていけたらと思っている」
そんな中、今年、頼もしい戦力が加わりました。

中村 拓己さん「人手不足でもあるから、試しにきてみないかと言われて、もう一度やってみようかなという気持ちになり」

中村拓己さんは、10年前、家庭の都合で退職しましたが、かつての同僚、藤山さんの誘いを受け、船頭として球磨川くだりに復帰したのです。
中村拓己さん「少しずつでも隻数を増やして、お客さんに楽しんでもらいたいという藤山さんの話を聞いて、少しでも力になれればと思って」
さらに、藤山さんたちは今年から新たに地元の高校生を招いた体験会を開くなど、人材確保に向けた新たな取り組みも進めています。
「球磨川くだりの歴史をとめない」藤山さんはキャ板を握る手に力を込めます。
球磨川くだり 藤山和彦さん「球磨川くだりに魅力を感じて、残していってくれるような流れを今のうちに作っていきたいと思っています」