対話による “共存共栄の道” 模索すべき
長年富山市で暮らし、現在は広島で語り部活動をする飯田國彦さん(82)です。
広島で語り部の活動を続ける 飯田國彦さん
「戦いを拡大するような攻撃、もってのほかであると」

1945年、3歳のときに原爆で母と姉を亡くし原爆孤児となりました。アメリカからイランへの空爆に対し、飯田さんは次のように語ります。

広島で語り部の活動を続ける 飯田國彦さん
「世の中の仲裁役であるアメリカがですね、ああいうふうな攻撃に出るというふうなことは、世の中にはもう仲裁役はなくなるじゃないかと」「もっとですね、世界平和を考えて行動をとってほしいなと思います」

飯田さんは報復を繰り返すのではなく対話による共存共栄の道を模索すべきだと訴えます。
広島で語り部の活動を続ける 飯田國彦さん
「手間はかかってもですね、対話は続ける。そして周りの国々もですね、その対話に対して支援をするとそういう風な立場であってほしいと願っています」