祖父母を探して歩いた浦上 目にした「地獄」

美輪さんの祖父母は爆心地近くの浦上地区で銭湯をしていました。美輪さんは8月15日、終戦の報を聞いた後、ひとり歩いてそこに向かったといいます。

美輪明宏さん:
「祖父母は浦上天主堂の近くでお風呂屋さんをやって住んでたんです。子どもの足ですけど、父親に言うと怒られるから内緒でそこまで徒歩で何とかたどって…。だけどどこが何やら、何がどこやら…もう見渡す限り、どこも焼け跡だらけでわからないんですね。祖父や叔母たちはそこで亡くなりましてね…地獄ですよ」

美輪さん、反戦の思いを歌に

シンガーソングライターの元祖でもある美輪さん。これまで反戦をテーマにした歌を多く作り出し歌ってきました。

美輪明宏さん:
「シンガーソングライターの元祖として、戦争反対の歌をどんどん作っていったんですね。人類始まって以来の爆弾でしょ。誰が?どうしてこんな残虐な爆弾を作ったのか?原爆なんていうものを作ったのか?その責任は誰にあるのか?―そういったことは子供でもちゃんと教えておいた方がいいと思いますね」

「日本は美しいもの、抒情的なもの、それを武器にしていく、日本の生き方はそれしかないんです。それに背くとひどい目に合うんです、悪魔にね…」

「とにかく長崎の子どもたちは『優しくて美しいものが好き』という風に育って、それを世界に広めてくれればと思います。『あー長崎出身ですか、素晴らしいですね』という風になって欲しいと思います」

二度と日本が戦争を繰り返さないように、美輪さんは原爆の恐ろしさだけでなく、その責任は誰にあるかまで子どもたちに教えるべきと話しました。

そして子どもたちには日本独特の美しさや優しさを大事に、美術、芸術、文化を育み世界に広げていって欲しいとメッセージを送っています。

美輪明宏さん:
「ありがとう。ご機嫌よう」