新潟県内に甚大な被害をもたらした新潟地震。
1964年6月16日、当時1000人を超える全校児童が1人もけがすることなく避難した新潟市立桃山小学校で、子どもたちが地震の教訓を学びました。

新潟地震から61年たったこの日、新潟地震の発生時刻である午後1時1分に合わせて行われた訓練では、津波警報が発表されたという想定で1階と2階の教室にいる児童が3階以上へ垂直避難しました。



こどもたちは、先生の指示に従って速やかに行動することができました。
1964年 6月16日 午後1時1分に発生した新潟地震では、新潟市などで最大震度5の揺れを観測。

県内で14人が亡くなり、300人以上が重軽傷を負いました。

【当時のナレーション】
「市内いたるところから地下水が吹き上げ…、土砂の海と化していった」

新潟地震で世界で初めて注目されたのが「液状化現象」です。

また、大規模な石油コンビナート火災が発生し消火まで2週間かかりました。

火災現場から桃山小学校までの距離は600メートルほど。

津波と液状化の脅威にさらされた当時の様子は玄関前の石碑にこう刻まれています。
「大地は揺れ海水は溢れ黒煙は天を覆う」

【桃山小学校 元教員 鍋谷總子さん(88)】「真っ赤な火の玉のようなものが空に向かってドーンと上がった。グラウンドにいたら危ない、物見山に避難しようと…」

当時27歳で桃山小学校の5年生の担任だった鍋谷總子さん。

子どもたちに当時の経験を語りました。
【桃山小学校 元教員 鍋谷總子さん】「お昼の給食を食べた後、食べ物はもちろん、水一滴飲んでいない、暑い日だった。それでも子どもたちは誰一人泣き出す子どもも、文句を言う子どももいなかった」

教職員42人で全校児童を近くの高台へ避難させ、その後、全員を保護者に引き渡すまでの3日間、中学校などへ移動しながら子どもたちを守り続けました。

1388人の児童は1人もけがすることなく、家族のもとへ帰ることができました。

【桃山小学校 元教員 鍋谷總子さん】「みんな無事であったというのは、奇跡でないかと今は思う。自分だったらどうするか、どうしたらいいか、きょうお家に帰ったらおうちの人と話し合って見てください」

【6年生は】「(当時は)スマホとか連絡するものがなかったけど、全員避難できてすごいと思った。言っていたとおり奇跡だなと思った」

【6年生は】「昔の人は一生懸命逃げていたから、自分も一生懸命逃げようと思うし、お家の人はいろいろな地震を経験したことがあるから『その時はどんな感じだった?』と聞いてみたい」
