35歳の節目に新たなチャレンジをしたかった
Q.今回このタイミングで設立したきっかけは何ですか?
浅田さん:
私が19歳の頃に自分のスケートリンクを建てたいという夢を持ってから、去年の11月に「MAOリンク」というスケートリンクがオープンたんですけど、子供のときにもう一つの夢として、子供たちにスケートを教えたいっていう夢もあって。
スケートリンクがオープンして(9月25日で)35歳という節目の年に、次なるチャレンジをしたいなという思いが強くなり、そのタイミングで木下グループ様とのご縁をいただいてアカデミーが決まりました。
Q.指導したいという夢はいつから?
浅田さん:
19歳、20歳くらいのときから…いろいろ妄想をしていました。(笑) ただ思いが強くなったのはやはり引退してからですね。26歳のときに引退してから自分ができることって何かなと考えたときに…はい。いろんなことが出てきました。
自分の35歳という節目の年に次なるステップに行こうと。35歳っていう年齢がちょっと私の気持ちを前に進めたというのはあると思います。

Q.35歳というのは人生の中で、どういった位置づけですか?
浅田さん:
私が引退したのが26歳のときで、そこからプロスケーターとして『浅田真央サンクスツアー』、『BEYOND』、『Everlasting33』というアイスショーを開催できて、自分自身ではプロスケーターとしても自分のやりたいことっていうのは全て叶えてきたつもりです。
次なる目標は?と考えたときにプロスケーターはもちろんそうですけど、それだけではなくて35歳でまた新たなチャレンジをしたいという気持ちが強くなりました。
Q.「スケートに恩返しをしたい」とおっしゃっていた
浅田さん:
指導者としてスタートしますが、(アカデミー進級を視野に入れた)『木下MAOクラブ』も設立するということで、スケート選手の人口も増えると思いますし、木下MAOアカデミーでも世界に羽ばたいていけるようなスケーターを育てたいと思っているので、少しでもスケート界に恩返し応援していきたいっていう気持ちは強いです。
ただ、私自身、指導者としては初めての経験になるので、もう一歩一歩自分で考えながら進んでいきたいなと…。
スケートと携わるのは『使命』 気持ちとしてはアスリートに戻りました(笑)
Q.スケートの情熱っていうのはどこから来るのでしょうか
浅田さん:
これまで5歳からスケートを始めて、もうスケートとお別れしようと思ったことは正直何度もあったんですけど、それがなぜだか私が好きという気持ちもあって。
でも、それだけではなくて、どんなに諦めようとしたときでも、限界を迎えたときでも、スケートが常にそばにいてくれて、私から離れないようにいてくれたので、もうフィギュアスケートとこれからも人生を歩んでいくというのは、自分の中でもビジョンが見えているので、スケートに携わっていくことは『使命』かな、というふうに思っています。
使命といえばちょっと強制的な感じもあるんですけど、もし自分があのやりたいと思わなかったら進まない道だったと思うので、心から自分が挑戦したいという気持ちが指導者としての第一歩っていうことだと思います。
もちろん木下グループ様がサポートでついてくださるので、結果は出したいと思っています。気持ちとしてはまたアスリートに戻った気持ちであると思います。
Q.具体的な夢は?
浅田さん:
いろいろあるんですけど…一最終的にはやはりこの木下MAOクラブそして木下MAOアカデミーに入ってよかったなと素晴らしい思い出ができたなと思ってもらえることが、私の何よりの幸せになると思います。
Q.これから世界に羽ばたくには何が必要ですか?
浅田さん:
すべて必要だと思います。スケーターの素質がいいだけでも駄目ですし、やっぱりそれには指導者の力も必要ですし、皆さんの応援やサポートが必要になってくると思うので、一つだけが飛び抜けていても世界にはいけないと思います。
Q.真央さんにとって「スケート」とは
浅田さん:
スケートとは…『人生』なんじゃないかなって思います。5歳でフィギュアスケートに出会ってこれまでずっとスケートと一緒にともに成長してきたので、これからもともに成長していけますようにという思いを込めて『人生』という言葉を選びました。
Q.第三章が始まる。描いているゴールはどんなものですか?
浅田さん:
自分がいけるところまではいきたいなと思ってます!

新たなスタートについて笑顔で語った浅田さん。『木下MAOアカデミー』は浅田さんが直接指導するだけでなく、氷上以外のトレーニングにも力を入れた独自の育成プログラムを導入。さらに選手レベルに合わせた奨学金制度も設けるなど、自身の経験や長年の思いが詰まっている。
拠点は自らプロデュースした「MAO RINK」(東京・立川市)で、8月1日に開校する。