沖縄に心を寄せ続けた上皇ご夫妻
大元帥だった昭和天皇は終戦後、日本国民統合の象徴となり、地方訪問を繰り返したが、沖縄に行くことはかなわなかった。

アメリカ占領下に置かれた沖縄は1972年5月に本土に復帰。1975年の7月に当時皇太子だった上皇さまがご夫妻で初めて沖縄を訪問。この訪問の際にひめゆりの塔で火炎瓶を投げつけられた。その夜、上皇さまは、沖縄について異例の談話を発表された。
「払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく、人びとが長い年月をかけて、これを記憶し、一人ひとり、深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません」
上皇ご夫妻はその後、さらに深く沖縄に心を寄せ続けた。豆記者と呼ばれる記者体験をする沖縄の小中学生をお住まいに招いての交流を続け、琉歌や沖縄舞踊など沖縄の言葉や文化にも親しまれた。沖縄訪問は11回に及ぶ。
平和の願い 次の世代へ
沖縄の戦争体験者は、上皇ご夫妻の贖罪にも似たその気持ちを受け止めたのだろうか。過去の過ちを赦そうと努力し、未来の平和への願いにつなげようと努力している。両陛下はその思いを継承し、さらに愛子さまという次の世代にも受け継ごうとしている。
陛下は2月の誕生日会見で「愛子にも、戦争によって亡くなられた方々や、苦難の道を歩まれた方々に心を寄せていってもらいたい」と述べられていた。こうした両陛下の強い思いで愛子さまの同行が決まったのだ。

愛子さま苦難の歴史を深く心に刻む
4日の夜、両陛下は側近を通じて沖縄訪問の感想を公表された。
初めて沖縄を訪問された愛子さまについて「苦難の道を歩んできた沖縄の人々の歴史を深く心に刻んでいました」と触れられた。
そして「戦争を体験された方や、遺族となられた方々のお話をうかがい、皆さんが経験された想像を絶するような苦難の一端に触れ、深く心が痛むとともに、戦争を悲惨さや平和の大切さについて思いを新たにしました。戦後80年を迎える節目の年に沖縄県を訪れ、苦難の道を歩まざるを得なかった方々に思いを寄せつつ、平和の尊さを心に刻み、平和への願いを新たにしていきたいと思います」と表明された。
目の前で肉親を亡くした照屋苗子さん(89)は、愛子さまにこう呼びかけていた。
「愛子さまも来てくれてありがとう。これからも上皇ご夫妻の想いを引き継いで、これからも沖縄にいらしてください」
愛子さまは「はい」と返事をされた。
TBSテレビ報道局 解説委員
牧嶋 博子