「戦争は心を奪ってしまう」戦争体験者涙の訴え
この後、ご一家は戦争体験者と懇談された。照屋苗子さん(89)が米軍の攻撃で家族が即死した壮絶な体験を語り始めた。

「皇室にこれまでお話ししたことないことを言っても良いですか」
照屋さんは堰を切ったように続けた。
「6月はじめごろ、(米軍の攻撃で)祖母と姉と弟が即死しまして、その肉片と血が、私の膝に、その肉片と血がついて、私は気を失いました。戦争というのは人間が人間でなくなる残酷さで、悲惨で、地獄です。皇室の皆様方は、沖縄の戦争のようなことが二度とおこらないように、訴えてほしい。戦争は、この心を、奪ってしまう」
照屋さんは、「この心を」と自分の胸を叩きながら涙ながらに訴えた。皇后さまは「お辛い話ですね。お話いただきありがとうございました」と言って照屋さんの手をにぎられた。愛子さまはじっと話に耳を傾けられていた。
「愛子さまの訪問は非常に大きなこと」
5日、天皇ご一家は、米軍に撃沈された対馬丸の疎開児童を悼む「小桜の塔」と「対馬丸記念館」を初めて訪問された。

1484人が犠牲となり、館内には遺影がびっしりと掲げられている。対馬丸の悲劇には上皇ご夫妻が長年心を寄せ続けてきた。ご一家は、当時4歳で、一緒に船に乗った家族9人を失った高良政勝さん(85)と懇談された。
高良さん「今回のご訪問、両陛下のご訪問も非常にありがたいけれど、特に愛子さまがおいでになられたことが、非常に大きなことだと思います。皇室がやっぱり関心をもってくださっていることは非常に記念館にとってはありがたいこと。こういうことがあったということを多くの人に知ってもらって、平和を維持するために非常に大きい役目を、小さいけれど果たしているんだなと」
「過去のこととは思えない」天皇家への複雑な思いを乗り越えて
悲惨な沖縄戦を生き残った人たちの中には皇室への複雑な思いを率直に語る人もいた。
10歳だったとき家族を失い、戦場を一人で逃げ惑った玉木利枝子さん(91)。沖縄戦の語り部の活動をされている。

「戦争というものが始まって、今は終わったことですから、始めたことへの責任とか、そういう物はもう過去のことですから、と思うことは出来ないけれど、これからこういうことがあったということを今の人たちに分かってもらって、これからをどうするかっていうことをやっぱり学んでいってもらわなければいけない。だから、私はやっぱり中学生や高校生に語り続けると、天皇ご一家にお話させていただきました。天皇家に対して複雑な思いが、体験者としてはあるにはあるが、上皇さまからずっと続いて、今の天皇家、秋篠宮家も、贖罪の気持ちを持って勉強している。沖縄に対してお詫びの気持ちのような思いを非常に感じました」