NBC被爆80年シリーズ企画「銘板が伝える8.9」。第8回は、かつての兵器工場で現在はスポーツを楽しむ人たちが行き交う場所に建つ銘板です。
爆心地からおよそ1.4キロ南西に位置する中部下水処理場。
ここにはかつて、三菱兵器製作所茂里町工場がありました。
建物のすぐそばの歩道に当時の様子を伝える銘板があります。

4万平方メートル余りの敷地では主に魚雷が作られていました。
原爆で工場はほぼ全壊。大橋工場と合わせると5600人以上が亡くなり、学徒動員で働いていた多くの若者が被爆しました。

桑崎英子さん(当時15歳):
「魚雷の『深度目盛』っていうのを作ってたんですよ。音なんかは私は気づかなかったけどね、光だけはね緑色のような紫色のような橙色のような。気づいた時には真っ暗闇の中で気づいて、あ~自分どこにいるのかなぁって思って」

峰ミサヲさん(当時15歳):
「ただ風がさーっと入ってきて、伏せろ!っていうから伏せただけー。目を開けたときは家(建物)はなかった。ひろっぱでね、もうなかった。そのときはひとりも見なかった、外に出るまで」

現在は近くに長崎スタジアムシティが完成し、スポーツや文化を楽しむ人々が行き交います。

戦争によって多くの人が自由や楽しみを奪われ、兵器を作るために働き、命を失ったこと。銘板は80年前の出来事を静かに伝え続けています。