伝説の引退シーン 愛され続ける理由

そして1974年、多くの人の胸に刻まれる名シーンが。

長嶋さん(1974年)
「私はきょう引退しますが、我が巨人軍は永久に不滅です」

常にファンの目を意識し、ファンと共にあり続けた長嶋さん。

長嶋さん(1974年 引退直後のインタビュー)
「ファンあってのプロ野球だということはよく耳にはしておりますし、実際そういう姿勢で選手生活を続けていた」

引退後すぐに監督に就任し、1975年~1980年まで務めます。2度のリーグ優勝も果たしました。

92年オフには、当時2年連続で優勝を逃した巨人の再建を託され、再び監督に就任しました。

長嶋さん(1992年10月 2期目の就任会見)
「多くのファンの皆様方の支持の力によりまして、監督という環境を得たことは、球人冥利に尽きるの一言」

折しも時代はバブルがはじけ、日本経済から活力が失われつつあった頃。長嶋さんの天性の明るさは、日本人を元気づけました。

選手には、熱く指導しました。

92年の秋季キャンプでは「お!変わってきたな。いつ化けたんだ、このスイング」と時に笑いを誘い、周囲を和やかな雰囲気に包み込みます。

そんな長嶋さんの姿から、「理想の上司」の1位に選ばれたこともありました。

常にファンを喜ばせるエンターテイナーであり続けた長嶋さん。言葉遣いも、時に英語を交え…

長嶋さん(1994年) 
「チーム全体がスピードとチャージをトライできるような、イージーに入っていけるように」

その理由を、かつて「NEWS23」で答えていました。

Q.日本語よりイングリッシュを使った方が、うまく表現できますか?
長嶋さん

「野球用語が英語が多いので、ついつい脱線して出る時がある。両方使ってます」 

Q.野球選手になっていなければ、今何をしていた?
長嶋さん
「野球選手以外ありえなかった」

生涯“野球一筋”だった長嶋さんは、巨人の監督を退任後、アテネオリンピックで代表監督に就任しました。