家族とは血が繋がってるということではなくて、最後まで味方でいること 

幼少期は、自分の人生が当たり前だと思っていた航一さん。小学生になると、周りとの違いに気付き始めたそうです。

(宮津航一さん)
「生い立ちを振り返る授業っていうのがあって、生まれたときの写真がないので、周りは当たり前に持ってる写真が自分にはないから、当時、自分の生い立ちを周りに伝えてなかったので、そこを知られたくないって思いもあって、兄の写真を貸してもらったりですね、周りとの違いを感じて、もどかしさとか、そういうのを感じた」

高2の冬、航一さんは正式に宮津さん夫妻の養子に。
そして、18歳になった2022年、世間に向けて自らの生い立ちを公表しました。

(宮津航一さん)
「ゆりかごによって命が救われて、そして、里親家庭に迎え入れてもらったことで、こうやって今幸せな生活があるんだっていうのを、やっぱりいろんな人たちに知ってほしいなという思いがあって公表した」

今は、大学に通いながら「こども食堂」を運営し、各分野の専門家を講師に呼んで小学生が学ぶ「こども大学」を創設するなど精力的に活動しています。

(宮津航一さん)
「父がずっと言っていた言葉がありまして、家族とは血が繋がってるということではなくて、最後まで味方でいることだと、本当にその通りだなと思うんですね。特に、里親家庭では、血のつながりのない、血縁を超えた家族の形だと思っていますし、子どもたちがたくさんの愛をもらいながら、ぬくもりをもらいながら育てる環境が一番いいと思うので、そういう意味では、里親家庭も1つの家族の形としてものすごく素敵」