詩を通して核兵器廃絶を訴え続けた被爆者・福田須磨子さん
23才の時に爆心地から1,8キロの長崎男子師範学校会計課に勤務中被爆。
原爆で両親と姉を亡くしました。
1955年皮膚や臓器などむに病変が生じる「全身性エリテマトーデス」と診断され、入退院を繰り返しました。病苦と貧困にあえぎながら創作を続けた「被爆詩人」です。
長崎市の平和公園に完成した平和祈念像について「石の像は食えぬし腹の足しにならぬ」と、被爆者の胸中を詠んだ詩「ひとりごと」を発表。
1968年には自伝的小説「われなお生きてあり」を出版し、第八回田村俊子賞を受賞。
作品を通じて原爆の非人道性を訴え、療養生活を送りながら執筆を続けた福田須磨子さん。1974年52歳で亡くなりました。
注目の記事
寒暖差で危険“ヒートショック”「今年は明らかに救急患者が増加」⋯風呂だけではない、自宅で起こる“3つの場所” 医師に聞く対策は?

「爆発音も聞こえる」黒煙上げる住宅に飛び込み高齢男性を救出 勇気を支えた津波の経験と“ある警察官”との運命の出会い

【ミセス】「モヤモヤ」する青春が今のキラキラを作った—Mrs. GREEN APPLE 藤澤涼架が母校を訪ねて語った「原点」 【前編】

日本初の定着を確認 メスだけで “クローン増殖” する特定外来生物の生息地が拡大中

自転車で直進したいのに…交差点の一番左が「左折レーン」 どう通行すればいい? 警察に聞く「2つの方法」

コメが倉庫の天井近くまで山積みに… 「コメが余って売れない」 「年明け以降は価格下がる」 国の政策に振り回されたコメ業界









