詩を通して核兵器廃絶を訴え続けた被爆者・福田須磨子さん

23才の時に爆心地から1,8キロの長崎男子師範学校会計課に勤務中被爆。
原爆で両親と姉を亡くしました。

1955年皮膚や臓器などむに病変が生じる「全身性エリテマトーデス」と診断され、入退院を繰り返しました。病苦と貧困にあえぎながら創作を続けた「被爆詩人」です。

長崎市の平和公園に完成した平和祈念像について「石の像は食えぬし腹の足しにならぬ」と、被爆者の胸中を詠んだ詩「ひとりごと」を発表。
1968年には自伝的小説「われなお生きてあり」を出版し、第八回田村俊子賞を受賞。

作品を通じて原爆の非人道性を訴え、療養生活を送りながら執筆を続けた福田須磨子さん。1974年52歳で亡くなりました。