難航したアニメ化と『ピカチュウ』という発明
野村:
ゲームの大ヒット後、アニメ化の話もすぐに出たのでしょうか?
中山:
実はアニメ化は2回断られています。当時の任天堂はアニメ事業が得意ではなく、ゲームの人気がアニメに吸われてしまう懸念もありました。IPとして育てるというより、ゲーム単体での成功を優先する風潮があったのです。
野村:
それを拾ったのが小学館だったのですね。
中山:
はい。小学館の久保雅一さんという方が、当時第2次ブームだったミニ四駆の『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』の成功事例を提示し、「アニメにすると二次的なブームを起こせる効果がある」と説得したのです。それでも任天堂はアニメの制作委員会には出資していません。小学館や小学館集英社プロダクション、JR東日本企画などが中心でした。
野村:
当初はそれほど期待されていなかったアニメだったのですね。
中山:
そうです。しかし、アニメ制作は非常に秀逸でした。特に、ゲームでは数多くいるポケモンの中から「サトシ」と「ピカチュウ」という主人公と相棒の組み合わせを前面に押し出した点が素晴らしい。
もともと、ゲームでのピカチュウは151種類のポケモンのうちの1種類に過ぎず、特別な存在ではありませんでした。これにより、単なるコレクションゲームのアニメ化ではなく、強い物語性が生まれたのです。
野村:
言われてみれば、ゲームは原作なんですけど、アニメ化にあたって割と作り替えているというか、ストーリーを翻案していますよね。