“全盲の世界”を楽しんでやろう 女性を変えた出会い
大きな転機となったのは、9年前、ヴィヴィッドとの出会いだった。

元気いっぱいに生きるヴィヴィッドと触れ合い、“全盲の世界”を全力で楽しんでやろうと考えるようになった。

ふさぎ込んでいてもダメだ、と外にも積極的に出ていくようになった。マラソンや社交ダンスにも挑戦し、活動の範囲を自ら広げてきた。

浅井さんは大阪市にあるアパレルメーカーで、従業員向けのマッサージをするヘルスキーパーとして働いてきた。マッサージの技術は盲学校で学んだ。

ランチタイム、大好きなおしゃべりの時間。浅井さんはどんな出来事も“笑い”に変える。根っからの関西人だ。

浅井純子さん
「(義眼を)いじくり倒しててん、電車の中で。それがコロンって落ちた」
社員
「めちゃ転がっていきそう」
浅井純子さん
「『目ーー』って言って」
社員
「すぐに見つかったん?」
浅井純子さん
「車両がシーンってなった」
この日、盲導犬の訓練所を運営する「日本ライトハウス」の職員がきていた。
ヴィヴィッドがこれまで通り、安全に誘導できているかを確認するためだ。このとき、9歳半。人間に例えると70歳ほどだそう。

日本ライトハウス 桒木雄介さん
「いまのところ大きな問題はない。足の動きも年相応というのがあるけど、いますぐになにかというわけではない。あとは今の状態をどれだけ現状維持できるか」
盲導犬の引退は10歳前後といわれている。引退後は別の家庭に引き取られることになる。
2024年9月、同じ盲学校に通っていた友人2人が自宅を訪れた。

友人の女性は遺伝性の病気を患い、29歳から徐々に視力が低下し、今はほとんど見えていない。同じ苦しみがわかる浅井さんに聞いてほしいことがあった。

友人
「息子の目が見えなくなってきた」
中学生の息子が4か月前に同じ病気を発症。進行が早く、悪化しているという。

友人
「うちは好きなことができた。趣味を見つけて、遊んだり、仕事にも就いて、結婚して子どもを産んでから(目が見えなくなってきた)。だけど息子はまだこれからなのになって。子どもたちには、見えていたら楽しいこといっぱいできると言って育ててたから。見えなくても楽しいことはあるけど、見えていたらいっぱいあるやん」
浅井純子さん
「それは事実やな」
友人
「そう考えたら、かわいそうと言ったらあれだけど、申し訳ないなと思う」
浅井純子さん
「でも、よく言うやんか。お母さんが申し訳ないと思っているのが子どもにはわかるって。それがしんどいっていうやん」
友人
「自分も母親からごめんごめんって言われていたけど、それが嫌で。謝られてもなにもできへんやん。謝られたらそれ以上何も言えない、辛いとか泣き言が吐けなくなるやん。だから息子には『お母さんのせいで病気になったかもしれないけど、謝らへんからな』って言った」

浅井純子さん
「それでいいと思う」
苦しみがわかるからこそ簡単に「大丈夫」とは言えない。でも乗り越えられるはず。そう強く信じている。