戦後80年プロジェクト「つなぐ、つながる」です。沖縄県民の4人に1人が犠牲になった沖縄戦。家族とはぐれ、たった一人で戦場を逃げまどった女性が80年間、誰にも明かせなかった地上戦の記憶を語りました。
JNNに寄せられた15枚の原稿用紙。震える文字で、鮮明な記憶が綴られています。
「空いっぱいにぎん色のつばさをしたアーケージュー(とんぼ)が空をおおいつくしていた」
アメリカ軍が沖縄に上陸する5か月前、那覇市などを襲った10・10空襲の描写です。
原稿を送ってくれた宮里愛子さん(88)。パーキンソン病を患い、2年前から老人ホームで暮らしています。
宮里愛子さん
「サトウキビ畑でオバーを見失って、あれから一人旅。とっても苦しかった」
8歳で空襲に遭い、その日を境に始まった避難生活。各地を転々とする中、地上戦が始まり、行動を共にしていた祖母と妹とはぐれ、たった一人の逃避行が始まりました。
宮里愛子さん
「足は腫れるし、血は出るし。みんなの後ろに隠れて、ガマ(自然壕)ではみんな家族がいるけど、私はこう隠れて。見つかったら怒られるさ」
避難する最中、忘れられない出来事があります。
「大ぜいの人々が死んでいて、私はその死体の上を歩いていた」
宮里愛子さん
「足(の下が)変に滑るから、なんだろうと思った。たくさんの死体の上から歩いていた。(死体だと)わからないさ。だから(今でも)ごめんなさいと言っている。あの真っ黒い死体だけは今でも忘れられない」
砲弾を避け、避難民の後を追い、沖縄本島中部に辿り着いた宮里さん。祖母らと奇跡的に再会を果たしました。
宮里愛子さん
「何か残さないとかわいそうさ、私たち。(Q.なぜ文章に)自分と祖母がここにいたということさ。やっぱり必要さ。(知った人が)『強く生きられるんだ』と思う」
「戦争は絶対したらいけないよ。でも(戦争を)するなって言ってするから。今の沖縄の人たちは優しい。物を言わないさ。誰かが(何とか)するだろうという若い人たちに言う。全然興味ないみたいだけど、大丈夫だという人に(自分の身に起こるかもしれない)知らないよと」
80年間、家族にすら一度も明かすことのなかった戦争の記憶。この一文字一文字に込められていたのは、非戦への切なる願いです。
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