戦後80年プロジェクト「つなぐ、つながる」です。戦艦「大和」のふるさと・広島県呉市は「東洋一の軍港」として栄えた一方で、空襲にもさらされました。80年前のこのまちの記憶が伝えるものとは。
市街地のすぐそばに停泊する艦船。海上自衛隊の基地がある広島県呉市は古くから海軍のまちとして栄えてきました。
戦艦「大和」が建造されるなど、当時の最先端技術が集まったまちでした。
大之木精二さん
「土日は皆、楽しみに中通りに出るから、ものすごい人出だった」
大之木精二さん(90)はまちの賑わいを今でも鮮明に覚えています。
当時、呉市の人口は最大で40万人。現在の倍にあたります。ただ、東洋一の軍港だったためにアメリカ軍の攻撃目標とされ、1945年3月から14回にわたり、空襲を受けました。当初の攻撃対象は軍需工場などの施設でしたが、戦況が悪化した7月には焼夷弾による市街地への無差別爆撃が行われました。
大之木精二さん
「(Q.当時とは景色は全然違う?)景色は違うけど、通りは大体こんなものだった」
大之木さんが当時暮らしていたのは呉市街地の中心部。迫り来る火から逃れるため、家族と一緒に逃げました。
大之木精二さん
「紅蓮の炎という言葉が、まさにその通りいう光景」
逃げる途中、家族と離ればなれになりましたが、翌日、再会することができました。
大之木精二さん
「(父が妹に)生きとったかって抱きついて泣くわけ。僕はその光景を見て大泣きした」
一夜にして焼野原となった呉のまち。犠牲になった市民は1800人以上。2万戸を超える住宅が全焼・全壊し、12万5000人が家を失いました。
中谷元 防衛大臣
「自衛隊海上輸送群の新編行事に出席し、隊旗の授与を行うとともに」
戦後80年を迎えた今も、重要な防衛の拠点であり続ける呉のまち。
呉空襲が伝えるのは、その拠点の周辺にいる人たちも否応なく戦争に巻き込まれ、犠牲となったという事実です。
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