街が大きく変貌し、暗渠道となった「西道川」

ドームの敷地に沿って南側には、かつて「西道川」が流れていました。暗渠化され、現在は車道に。地下には上水道が流れています。

戦時中、軍需工場が多く存在していた大曽根は米軍の標的となり、何度も空襲を受けました。戦後も工業地帯として発展した大曽根ですが、地域の商業施設への転換が進み、工場は閉鎖。

90年代以降は工場跡地を利用した大規模施設の設置が相次ぎ、街の姿が大きく変貌を遂げることに。ドームへの建て替えに伴い、工場の敷地や周辺の川も道路として生まれ変わりました。

西道川は茶屋ヶ池からかつて弁天公園にあった池へと通じる地下水路があり、ドームの南側を抜け、北の大幸川などへ通じていたそう。膝が浸かるくらい浅く、たくさんの子どもが魚獲りをしていた綺麗な川は、昭和40年前後の区画整理で暗渠になったとのこと。

弁天公園にあった弁財天は、天文7年(1538年)創建の「永弘院(ようこういん)」に移設されています。

2025年1月14日(火)午後11時56分放送 CBCテレビ「道との遭遇」より