昭和の時代をバスガイドの音声で振り返ります。
宮崎市の宮崎神宮が、昭和10年代に県内を周遊していた観光バスのガイドの音声をSNSで公開しています。
(宮崎遊覧バスガール)
「宮崎市は最も古い町で、また最も新しい町だとよく申します」
これは、昭和10年ごろ、現在の宮崎交通が運行していた「宮崎名勝遊覧バス」のガイドの音声です。
遊覧バスは、毎日午前8時半から運行し、1日最大500人を受入れ。
宮崎神宮や青島などを4時間ほどかけてめぐるルートや7時間かけて鵜戸神宮まで行くルートなどがあったそうです。
(宮崎遊覧バスガール)
「橋を渡りましてこの通りは橘通りと申します。橘通りは一丁目から六丁目までございまして市内第一の目貫でございます」
この音声は、当時、レコードに収録され、発売されたもの。
宮崎神宮では、現在、昭和100年の記念事業として神宮に関する昭和期の写真やポスターなどを公募していて、県外の大学の研究者が持っていたレコードの音声を送ってくれたということです。
(宮崎神宮 本部雅裕宮司)
「今、お参りされる方も宮崎神宮のこの100年を感じていただいて、変わったところ、あるいはずっと宮崎神宮の信仰として変わらないところ、こういったところを見ていただくとありがたい」
バスガイドの音声は、宮崎神宮の授与所で聞くことができるほか、宮崎神宮のインスタグラムでも公開されています。
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