焼夷弾の脅威「この下でみんな死んでいった…」

約2時間にわたり50万発以上の焼夷弾が投下された富山大空襲。

木造住宅が密集する市街地を焼き尽くすため、米軍の日本都市への空襲にはすべて焼夷弾が使われました。

焼夷弾には落下した衝撃で火をあげるマグネシウムやナパームが入れられ、数十本単位、百本単位で上空から落とされました。

稲垣さんの近所に住む五十嵐顕房さんの家には、富山大空襲で投下された焼夷弾の残骸が保管されています。

稲垣よし子さん
「落ちるとそこから110本に別れるがです。その110本に別れるのがこの中に入っとって。油と、燃えとるにおいと入り混じった、何とも言われん気持ちの悪いのが思い出してきて。この下でみんな死んでいったんだから…」

現在、稲垣さんは富山大空襲の数少ない「語り部」として、戦争の恐ろしさを子どもたちに語り伝えています。

稲垣よし子さん
「教員辞めてから少しこうしてみなさんにお話できるように最近なってきたので、お話していますけども、何か思い出すと胸がいっぱいになってしまって…」