爆風に飛ばされて川へ…奇跡的に

稲垣さんは当時、富山市中心部の愛宕町に暮らしていました。

稲垣よし子さん
「納屋の奥の方に空き地があったもんだから、空き地に防空壕があったの。その防空壕に私たちはじめ入っていた」

2日午前0時半すぎの空襲警報でいったん防空壕に避難しますが、東京大空襲を経験し実家に戻っていた姉が「防空壕にいたら危ない」と言ったため、防空壕から出ると辺りは一面火の海でした。

稲垣よし子さん
「こうやって見たらもう燃え上がっとって。火の海。ばーってそこで燃え上がってるもんだから『こわい』言うて」

恐怖で足がすくみ動けなくなってしまった稲垣さんを父が叱りつけて、妹と一緒に引きずるように神通川に向かいました。

逃げ惑う人であふれかえる河川敷に、B-29は容赦なく次々と焼夷弾を投下しました。

稲垣よし子さん
「バーンと目の前に落ちて、その爆風で私も妹も飛ばされて、父も飛ばされたんだと思うんですけど、川の中に放り込まれたんですね」

川の表面は焼夷弾の油が厚い層になっていて、稲垣さんの顔に張り付いてきたといいます。

稲垣よし子さん
「油なのか血なのか顔にびったりくっついて息できんくらいになって、それで防空頭巾を脱いで(顔をぬぐって)やっと息して」

稲垣さんと妹はそれぞれ奇跡的に川から引き上げられ、九死に一生を得ましたが、父とはそのまま離れ離れに。3日後、父は、神通川の下流で遺体で見つかりました。