富山大空襲の記憶 半世紀語れず…

空襲の後、稲垣さんは心を閉ざし、話しをしない、笑わない少女になってしまいました。

歳月を重ねて笑顔を取り戻していきましたが、半世紀近く、戦争の記憶を語ることはありませんでした。

稲垣よし子さん
「みんな生きとりたかっただろう、友達もたくさん死にました。大きくなったらこんなんしようねと言ってた友達が何人も死んでしまいました」

残された人生でこの悲しみを伝えていかなくてはいけないー。

稲垣よし子さん
「生き残ったんだから、亡くなられた人たちの悲しみも背負って、ちゃんと伝えていかなくちゃならないんじゃないか。悲しみしか残らないこんな戦争をしてほしくない、するような気持ちに絶対なってほしくないということを伝えていきたい」

自分たちが経験したような戦争を二度と繰り返さないために何ができるか、稲垣さんは、1人でも多くの子どもたちにこれからも問い続けていきます。

稲垣よし子さん
「無念な人たち、山のように死んでいった。れいこちゃんも死んでいった、さだこちゃんも死んでいった…」