太平洋戦争末期に特攻兵器として使われた人間魚雷「回天」。その訓練場があった大分県日出町で25日、コロナ禍で途絶えていた回天神社の例祭が6年ぶりに行われました。
回天神社の例祭には地元の人たちを中心におよそ50人が参列。太平洋戦争で回天に搭乗して出撃した89人を含む戦没者に黙祷を捧げました。

例祭はコロナの影響などで途絶えていましたが、地元ボランティアが支援して6年ぶりに行われました。
(大神回天会・工藤健次会長)「こういう施設は九州に一つしかない施設。後世に伝えていくのが我々の使命と思っていますので、しっかり皆さんと取り組んでやっていきたい
人間魚雷「回天」は太平洋戦争末期に特攻兵器として使われ、1人で操縦して体当たりする魚雷です。山口県の3か所と日出町に訓練施設が置かれ、若い隊員285人が訓練を行いました。

秋広英二さんの父親も日出町の基地に配属された隊員の一人です。
(秋広英二さん)「訓練中に砂浜に突っ込んで何日間か回天の中で過ごしたというのは聞いたことがある。私が今ここにいるのも終戦を迎えることができて父が回天に乗らなくてすんだというのがありがたい」
日出町の基地では回天の出撃や訓練で亡くなった人はいません。戦後80年を迎え戦争体験者が少なくなる中、若い隊員たちが、生死と隣り合わせの中で訓練を重ねていた事実は、地元ボランティアによって、次世代に語り継がれています。