今月(4月)19日、岡山県真庭市の神社で戦没者を弔う慰霊祭が行われました。出席した遺族の多くは戦後生まれ。自身の戦争の記憶は当然ながらありません。今年で戦後80年…長い年月が経ち、失われつつある記憶をどうつないでいくかが問われています。
多くが二十歳前後の若者たち「僕らも顔見たことない」

幹から龍のような枝が伸びる御神木。樹齢900年ともいわれる平安杉で知られる高岡神社です。

19日、境内の一角にある建勲神社で、戦没者慰霊祭が行われました。

こにには地元・真庭市の中津井地区と隣接する高梁市の中井地区から戦地に赴き、命を落とした約190人が祀られています。

(宮司 高岡佳子さん)
「二十歳前後の方々が多く、とてもりりしい死を覚悟した顔をされています。ぜひこの写真を見ていただいて二度と戦争を起こさないように今一度振り返っていただきながら、私もそうですけれど後世につないでいきたいと考えています」

命を落とした人の多くが二十歳前後の若者たち。

およそ30人の遺族らが花を手向けました。

(遺族)
「この遺影しかしらない」

「僕らも顔見たことない」

「そうするとこの写真が全て…」

中井地区遺族会会長の荒木一郎さんです。

叔父の荒木富夫さんは日本軍が劣勢となった「戦局の転換点」といわれるミッドウェー海戦で命を落としました。

(中井地区遺族会会長 荒木一郎さん(80))
「勉強もよくできて本当に惜しまれる人だったと聞いています。自分らも(昭和)19年生まれですから、叔父とは全然あっていない。写真で叔父さんというのがわかるだけでね…」

一方で、一郎さんの父親は病弱だったため兵役を免れました。そのため悲惨な戦場の様子は分からないといいます。

中津井地区遺族会会長の森川和光さんです。

伯父の森川巌さんはアリューシャン列島付近の海域で、乗っていた船を攻撃され命を落としました。そのあとを追うように翌年には祖父が病死。相次いで2人の親族を失ったといいます。

(中津井地区遺族会会長長 森川和光さん(67))
「私が(昭和)33年生まれなので…(戦争当時は)影も形もない」
記憶に残っているのは、戦地に赴く前に終戦を迎え生き残った父親の言葉でした。

(中津井地区遺族会会長 森川和光さん(67))
「19年、20年の9か月の間に兄が死に、父親が死にということで、17歳で家族の面倒を見ないといけないということで大変だったと…いうようなことはよく言っていました。お前らに比べたら自分はもっと大変だったんだと」