「とにかくお金にかえられるものはお金にかえました」・・・一変した生活

梶原章裕さん

松尾さんとともに組合に加入した梶原章裕さん(54)は、配車差別以降、昼過ぎには仕事が終わるようになったという。

ある日の業務は、北九州市戸畑区から八幡西区まで荷物を運ぶこと。営業所のある小倉北区に戻ってくるまでの走行距離はおよそ40キロ。荷物の乗せ下ろしの手当を入れても1800円程度の収入にしかならない。

梶原さんは生活費を捻出するため、自家用車を手放した。そして当時住んでいた一軒家から家賃の安いマンションに引っ越した。

トラック運転手 梶原章裕さん(54)「生活することが大事なので、もうとにかくお金にかえられるものはお金にかえました」

松尾さんも状況は同じだった。

トラック運転手 松尾宏忠さん「正直しんどかったです。妻もアルバイトを増やしてくれた。金融機関からお金を借りたこともあった。精神的にも追い込まれていきました」