満開を迎えた新潟市の桜。
美しいはずのこの景色を、「今年もまたこの季節が来てしまった…」と切ない思いで見つめる人たちがいます。

中学1年生の時に北朝鮮によって拉致された、横田めぐみさんの帰国を待ち続ける家族や友人たちです。

【めぐみさんの同級生 池田正樹さん(60歳)】
「桜の季節はつらいですよ。言葉にならないですよね…」

今年もまた桜が満開になった、新潟市中央区の寄居中学校。
48年前の4月10日に、この場所で写真を撮影した親子がいました。
横田めぐみさんの入学を喜び、シャッターを切っていたのは、父・滋さんです。

ところが、入学からおよそ7か月後の1977年11月15日。
部活動を終えて自宅に帰る途中で、めぐみさんは忽然と姿を消しました。
北朝鮮による拉致事件でした。

幸せにあふれていたあの写真=桜の下で撮った娘の写真は、警察による横田めぐみさんの公開捜査で使われることになりました。

【横田めぐみさんの母・早紀江さん(89歳)】
「大切な宝物を一瞬のうちに闇の中に消されてしまって…」
「なにもわからない、何が起きたのかわからないという、あの新潟の夕方の瞬間を今も忘れることができません」
「もう気が狂いそうで、なんのために私は生まれてきたんだろうというところまで…」

拉致から48年が経ちます。
娘を取り戻すために闘い、再会を待ち続けた滋さんは、5年前に亡くなりました。
あの写真の桜も朽ちはじめ、切られてしまった幹も…。

その桜のすぐそばに10日、横田めぐみさんの同級生たちの手で、“5本の苗木”が植えられました。

【池田正樹さん】
「横田家が5人家族だったので、せめて桜は一緒にいてほしいなと…」

電話に応じた母・早紀江さんも、この桜に思いを込めています。

【横田早紀江さん】
「こんなことがあったけどめぐみちゃんも元気で帰ってきて『本当によかったね』って、この桜が美しく咲くときにみんながその花を眺めることができるよう…」
「日本の政府の方たちは命がけで、今も耐え忍んで暮らしている人たちを、取り返してほしいんです」

残された時間はありません。
家族も、同級生も、願いはただ一つです。

【横田早紀江さん】
「ただ生きて、みんな元気で、日本の土を踏んでもらいたいと…。『懐かしい、ここに帰ってきた』って思わせてあげてくださいと、祈っています」
「帰国を確信して祈り続けています」

カメラが趣味だった滋さんは、めぐみさんが結婚したときに持たせたいと、愛にあふれた家族写真を数多く撮り溜めていました。

家族の日常を奪った北朝鮮の拉致事件。
家族や友人らが再会を喜び合える日が一刻も早く来るよう、政府には本気で向き合う姿勢が求められています。