青苗スカイバードの菊地賢行監督
「ぽっちゃり体型が原因なのか分からないがピッチャー前のバント処理とかが苦手で、前に出てきて投げると常に転んでいたようなイメージ、今からは想像できない」

ただ坂本投手は当時からゲームやスマホにはそれほど関心を示さなかったといいます。その代わり野球にのめりこみ、キャッチボールに明け暮れた少年時代を過ごします。
小学1年生で入団した「青苗スカイバード」


奥尻町には、野球少年たちの「スーパーヒーロー」がいます。奥尻島出身でただ一人のプロ野球選手、佐藤義則さんです。1976年に阪急にドラフト1位で入団すると現役生活22年、ノーヒットノーランを含むプロ通算165勝などの輝かしい成績を刻みました。

佐藤義則さん
「もう自分以外にプロ野球選手は絶対に出ないと思ったけれど、そういう話題の選手が出たので楽しみにしています、試合もできないところでやっていて、結局、島から出ないとそういうチャンスがないので」
坂本投手にエールを送る佐藤義則さん(68)

島で野球と出会って9年目、中学卒業の時、15歳の坂本少年が出した答えは…「島を出る」。北海道の強豪・知内高校でとことん野球と向き合う決意をします。

坂本投手の母親
「すごく心配だったし、わたし的には寂しくて行ってほしくなかったんですけれど、本人がそこまで野球をやりたいっていう気持ちが強かったので」

坂本拓己投手
「ずっと電話もしていたし、最初の方は不安があった」
心細かった時間は、あっという間に過ぎ去りました。自ら選んだ道の先にはかけがえのない出会いもありました。

寮母さん
「怪物君ってニックネームつけてます、わたしが、仕草が全部大きいの」
知内高校野球部の寮母・宮武比奈子さん




入学時、最速117キロほどだった球速は30キロアップ。真摯に野球と向き合う姿勢は坂本投手の目の前の景色を確実に変えていきました。
知内高校野球部 吉川英昭監督




知内高校野球部 吉川英昭監督
「コツコツやるタイプですし1番にグランドに来て最後に帰ったり、一番みんなが面倒くさがってやらないことを一生懸命やったり、みんなが恥ずかしがって面白いことやらない時は自分が1番最初に出てきて面白いことやるとか」