親族には「話せなかった」 記者が面会で知った夫婦の一面
仲が良かった老夫婦。「世界一の長寿大国」の陰で、老々介護の末に起きた事件は「他人事」とは割り切れない。
「殺された被害者と加害者」としてではなく「60年連れ添った妻と夫」の話が聞きたい。そう思い、私は判決の1週間前に、男が勾留されている拘置所へ向かった。

面会室に入ると間もなく、男が車いすで現れた。白髪頭にマスク姿、大きな黒縁メガネをかけていた。事前に送った手紙を読んで、面会に応じると決めたようだ。
男「裁判以降、また目が悪くなって。手紙は職員の人に読み上げてもらいましたよ」
「あなたの顔はぼんやりと見えるくらいだ」と言いながらも、男の視線はまっすぐ私へと注がれていた。
まず『お母さん』との思い出を尋ねると、男は目を細めた。
男「旅行に行くことが多かったですね。パリ、ロンドン、それから…」
夫婦ともに元気だったころは、2人で海外を巡っていたようだ。国内だと、北海道をたびたび訪れていたという。
しかし高齢者住宅へ入居後の生活について尋ねると、声のトーンを落とした。
男「あそこでは食事が出て来るから、妻は料理を作る機会を失ってしまった。タクシーで百貨店に行くのがたまの楽しみでしたが、距離があるし荷物も多くなるから、なかなかね。そういうところも妻はつらかったでしょうね」
――職員に「つらい」と話すことはなかったのですか?
男「あからさまには言えなかった。職員に『自分は早く逝った方が良いんじゃないか、何の役にも立たないから』というようなことは言ったと思う。『そんなこと言わないで』と返されましたが、具体的な話までは」
月に一度訪ねて来る親族にも話せなかった。心配させたくなかったからだ。














