80年前、住民による「集団自決」で300人以上の命が犠牲となった渡嘉敷島で3月28日、戦争体験者や遺族らが参加し慰霊祭が行われました。


80年前の3月28日、沖縄本島の西およそ30キロに位置する渡嘉敷島では、混乱の中、住民たちが手りゅう弾を爆発させるなどしておよそ330人が命をおとしました。

▼渡嘉敷中学校1年・工藤洪明さん「あの日この島で命を失った人たちだって 本当は穏やかで希望に満ちあふれた日々を送るはずだったのに だからこそわたしたちで考えよう」


渡嘉敷村の「白玉之塔」で行われた慰霊祭には戦争体験者や遺族らおよそ130人が参加し、戦没者の名前が刻まれた刻銘版に花を手向け犠牲者に鎮魂の祈りをささげていました。


▼集団自決を生き延びた 新里武光さん(90)「玉砕場は本当に血の川だったんですよ。15名くらいで家族が何か所か集まっていて、みんな手りゅう弾を持っていましたから。僕らも持たされたけど使わなかった」

▼集団自決で従妹を亡くした 大城静子さん(91)「いとこが全然1人も残っていない。全滅だった。寂しかった。来年も慰霊祭に来れるかなって。寂しかった。悔いは残さないように孫たちにも伝えていきます」

大城静子さんの孫「最近は高齢者が増えてきて、受け継いでいくことができないからこの話を聞いて、これからは伝えていけたらなと思う」

▼慰霊祭を復活させた 座間味昌茂元村長「ずっと残していかないといけないなと。語り継いでいかないといけないと思い、いま後輩たちには話をしているところです。平和でいつまでもこういう穏やかな暮らしができるように願いたいですね」

記憶の風化が進む中、参列者は島で起きたあの悲劇を二度と繰り返さないと平和を語り継いでいく決意を新たにしていました。