「ボーンと火の玉みたいなのが飛んで」

この山林火災では岐阜市内の住民は中学校2か所に避難したほか、各務原市では福祉施設に入所している高齢者らが一斉に避難。不安な夜を過ごしました。

幸い建物が焼ける被害はなく翌日には鎮火。27時間の懸命な消火活動でした。

けが人は消火活動中の2人のみ。岐阜県で過去最大規模の山林火災は最小規模の被害に収まったと言われました。

(当時の各務原市長)
「けさ現地視察して。正直言って背筋がゾクッとした。危機一髪」

あの日から丸23年になろうとしていますが、出火原因は明らかになっていません。

きょう、あらためて現場を訪ねると出火元付近は立ち入ることができなくなっていました。

当時の火災について住民たちは…。

(住民)
「(当時)犬と猫がいたから車に乗せて。近所の人を1人乗せて、すぐ避難。山火事のニュースがテレビに出ると『あの時こんなだったな』という感じ」
「(当時)飛び火が一番ショックだった。ボーンと火の玉みたいなのが飛んでいく。(山火事を)経験しているので目に浮かぶ」

地元の皆さんが手にする郷土誌には当時、芳野神社の宮司が御神体をかかえて避難したことも「必死の救出劇」として記されていました。