「私がママじゃないほうが…」生きづらさの理由

冷蔵庫には、娘を思って書いた七夕の短冊が貼られていた。

「幸せになりますように」

娘はもうすぐ2歳になる。保育園にも通っていて、日中の自由な時間は増えた。

ゆきさん(24)
「インスタ見てたらめっちゃかわいいのが出てきて『もうしたい』と思って、わざわざ(予定)キャンセルしてネイルに行きました」

今も、経済的な自立は果たせていない。生活費の使い方について、施設の職員から指摘されると、反発を感じることもあるという。

ゆきさん(24)
「私が施設暮らし(育ち)だからか、職員を勘ぐっちゃう、言っていることとかを全部勘ぐってしまう。『どうせ仕事だからこう言ってるんだろ』とか。まったく信用していません。普通ではない環境下の中で育ってきた私には無理なこと要求されますよね」

不安定になる心を薬で落ち着かせる毎日、だが…

ゆきさん(24)
「イライラしそうなことがあると分かっていたら、事前に飲んでおくことができるけど。そうじゃない急な時は、(子どもに)あたっちゃいそうになる、態度とかで」

自分の生活さえもままならなかったゆきさん。娘との生活をはじめて、2年がたとうとしている。

なお一層生きづらさを感じるのは、社会が求める「普通」の母親のイメージに苦悩するからだ。

ゆきさん(24)
「たまに思うのは、もちろん産んでよかったし、いまこうやって一緒に生活できてるのはうれしいけど、私がママじゃないほうがいいんじゃないかと思うときがある」

予期せぬ妊娠で始まった母親としての生活。その生きづらさへの理解が求められる。