どう生き どう逝きたいか 人生の終焉通して「生」を考える

▼男性客(30代)
「ひ孫に看取られたい。やばいな、急がないといけない。
▼女性客
「ハハハハハ(笑)ひ孫づくり?」
▼男性客(30代)
「まずは息子から(笑)」
最期を逆算して、今どうしておくべきか、話は自然と生き方に及びます。カウンターに座っていた女性は、身近にあったリアルなエピソードを共有。
▼女性客(50代)
「同級生のお父さんがガンで亡くなった後、ベッドの下にあったバッグの中に全部、奥さんから困らないように手帳から印鑑まで、全部1つにまとめられていたって。そういうのすごいなと思った」
▼めめんともり 村田ますみママ
「やっぱりその人がどこまで準備していたかですよね。何も残さずに何も準備せずにピンピンしててコロリと逝ってしまうと、残された人は大変ですよね」
話はどんどん深まっていき、身近な人の死についても語られました。

▼めめんともり 村田ますみママ
「20代で母親を亡くしたという経験があったから自分事になったけれども、それがなかったら死について考えもしなかったと思う」
▼男性客(30代)
「20歳の時に友達がバイクで亡くなったんですけど、本当はその人が生きたかった明日明後日、1年後10年後を自分たちは生きている。楽しまないとなと思います」
いつ訪れるか予想ができない死。だからこそ、今を生きることの大切さを再認識したようです。店の壁には、これまで訪れた客の「理想の最期」が貼り出されています。人の数だけ、内容もさまざまです。

▼めめんともり 村田ますみママ
「『死について考えることは生きることについて考えること』と、いつも言っています。日々を大切にして感謝の気持ちが生まれてきたり、1日1日がすごくキラキラしてきたりとか。人生を豊かにする営みだと思うんですよね。この場所がそういうことを考えるきっかけになったり、居場所にしてほしいですね」
ラテン語で死を想え・死を忘れるなという意味の「めめんともり」。みなさんはどんな最期を思い、どんな生き方を選択しますか。















