「どうにか生きていてくれたら…」
あれから14年…
(訓練)
「カメラのちょうど下、1mの位置で要救助者の左手と思われるものが」
「左手、了解。カメラ一回撤収して進入していく準備するよ」

40歳になった前田さん。今は岡山市に20人ほどしかいない人命救助のスペシャリスト「特別高度救助隊」の副隊長として訓練の指揮を執っています。
(前田啓さん)
「当時の僕よりもよくやってくれてますし。救助隊員なりたてだったんで、失敗とかその経験のおかげで仕事させてもらってます」
14年経った今でも決して忘れることのできない被災地での経験があるといいます。
(前田啓さん)
「5歳の男の子だったのが印象に残っています。これが家だとして、お庭があって、がれきとかが散乱しているところにひとりお子さんがあおむけでおられたという状態でした。とても小さいお子さんだったので、どうにか生きていてくれたらいいなと思ったんですけどね」
「当時は若かったので、生存者を救助したいという強い思いがあった。小さいお子さんの名札、名前も見てますし、それは非常に残りました。自分の中に」