そのころには社会復帰のため、子どもたちは一時保護所から山梨県外にある施設へ順次、移送されていきます。
保坂さん:
「職員が『保護所の生活楽しかった?』って聞いたんですよ。その子はその質問には直接答えなかった。ですが、ぼそっとつぶやいたんですよ」
『本当は反対の事を言っていたんだ』
保坂さん:
「もちろん楽しかった、なんて言えないんだけど『本当は反対のことを言っていたんだ』と言ってくれましたね」
「子どもたちの名誉のために言いますけれど、そういう抑圧をされていたけれど、段々、自分を取り戻していったんですよ」
1995年7月12日、最後の1人が保護所を去ります。
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