チャイニーズドラゴンの関与も
事件の別の側面として、ミャンマーの国境地帯で多くの外国人が監禁され、詐欺を強要されている問題に、日本の準暴力団「チャイニーズドラゴン」の関連グループが関与していることが新たに分かりました。
「チャイニーズドラゴン」は、日本で暮らす中国残留孤児2世、3世を中心に1980年代後半に結成された組織です。その凶悪性の高さから恐れられ、警察は「準暴力団」「半グレ集団」と位置づけていますが、実態の把握が難しいとされています。
中国残留孤児は、日本の敗戦後の混乱で主に中国にいた日本人の子供たちであり、日本人の肉親と離ればなれになり、そのまま中国人養父母のもとで育てられました。孤児たちは、のちに日本へ帰国し、日本で生まれた2世、3世が「チャイニーズドラゴン」の主要メンバーとなりました。
その一人である残留孤児2世の男性が4年前、毎日新聞のインタビューを受けています。彼は14歳、中学生の時に日本へ来て東京に定住しました。毎日新聞の記事の一部を紹介します。
「通っていた中学校には約60人の中国残留孤児2世らがいたが、皆、貧しさに直面していた。言葉の壁もあり、暴力を振るわれる仲間もいた」
「いじめに対抗するため、残留孤児2世ら日本語学級の12人でグループを作った。これがチャイニーズドラゴンの始まりだった。『元々、暴力を受けていた仲間の集まりだった。いじめられたくないから自分たちを強く見せたかった』」
犯罪は、もちろん環境のせいだけではありません。貧困や差別だけを理由にしてはいけないのは事実です。しかし、そのような環境でも懸命に生きている人が大多数です。一方で、戦前の日本が中国を含むアジアで犯した暴挙が、多くの日本人の運命を変えました。
戦後、日本に帰国したものの社会に溶け込めず、やがて犯罪に手を染めるに至った背景には、戦争が遺した問題があるのです。日本人全員がこの問題に真剣に向き合う必要があります。
ミャンマーでの特殊詐欺と中国マフィアの存在、そして犯罪に加担したとされる中国残留孤児らの組織「チャイニーズドラゴン」の存在。これらに共通するのは「中国」というキーワードです。この事件が示しているのは、単に日本人が被害者であるだけではなく、「犯行に加わった側の日本人」の存在も浮上しているということです。
遠くミャンマーを拠点にしたこの犯行は、戦争が終わって80年を迎える今年、我々が歩んできた戦後の歴史を振り返るきっかけとなります。戦後の日本がどのようにして現在に至ったのか、そしてこれからどのような道を進むべきなのか、考える材料としてこの事件を捉えるべきでしょう。
◎飯田和郎(いいだ・かずお)

1960年生まれ。毎日新聞社で記者生活をスタートし佐賀、福岡両県での勤務を経て外信部へ。北京に計2回7年間、台北に3年間、特派員として駐在した。RKB毎日放送移籍後は報道局長、解説委員長などを歴任した。