2月公開の洋画と邦画の2作品を観た筆者が、テレビの本質について語られた半世紀以上前の本のタイトルを思い起こした。メディアに関する様々なテーマについてフリーランスの立場から鋭く切り込むメディアコンサルタント・境治氏による寄稿。
テレビが舞台の映画が洋画と邦画で公開に
2025年2月にテレビを題材にした2本の映画が公開された。たまたま時期が重なったのだろうが、似た要素が多々あり面白い。しかもフジテレビ問題が起こり、テレビの存在意義をいやおうなく考えさせられている最中だ。そこでこの2本の映画を題材に、あらためてテレビとは何かを考察したい。
ネタバレにならないように書くつもりだが、これから見る予定の方は、観賞後に読むのが吉だろう。ただ、この記事は映画の評価は目的としない。
「セプテンバー5」(冒頭の写真はワンシーン)は米独合作映画で、舞台は1972年のミュンヘン・オリンピック。米国ABCが世界9億人に向けて生中継を行っている最中にテロ事件が起こる。パレスチナ武装集団「黒い9月」がイスラエル選手団を人質に取り、選手村に立てこもって仲間の解放を要求したのだ。
スポーツ中継のスタッフが急きょテロを刻々と世界に放送する。映画はその奮闘ぶりを中継スタジオの中だけで描く。すぐ近くでテロが起こっているのだが、テロリストも人質もABCが捉えたカメラを通してしか見せない。主役はABCのスタッフたちだが、テレビそのものが主人公とも言える。

一方「ショウタイムセブン」は日本映画で、2013年の韓国映画「テロ、ライブ」のリメイク作だ。
阿部寛演じるアナウンサー折本は看板番組「ショウタイムセブン」のメインキャスターだったが、今はラジオ番組を担当している。そのラジオに謎の男から電話があり発電所の爆破を予告すると、窓の外で爆発が起こる。電話の男は本物のテロリストだった。これを好機と捉えた折本は電話を「ショウタイムセブン」のスタジオにつないで犯人とのやりとりを放送する。こちらもカメラは放送局を出ることはなく、スタジオでの事態の進行を刻々と描く。主役は折本であると同時に、やはりテレビそのものでもある。

時代も場所も違うが、「テロを生放送するスタジオ」という設定はまったく同じだ。そしてテロそのものではなく、テロを伝えるスタッフたちを描き出すのも共通点。「セプテンバー5」では急きょ中継を指示することになったジェフの機転と苦悩が浮き彫りになり、「ショウタイムセブン」ではスタジオで犯人に振り回される折本の緊張感が伝わってくる。