「6.7分で津波が…」
七里御浜海岸から約10キロ離れた熊野市新鹿町は、遠浅の海と白い砂浜の新鹿海水浴場で知られます。ここも昭和東南海地震で、甚大な津波被害に遭いました。
(昭和東南海地震を経験 大矢耕太さん 93歳)
「(地震から)6分から7分くらいだったと思う。津波が来たという情報が入ったので、みんなで避難しようということで、城山という高台に避難した。全部川べりがやられている。半壊の建物はあまりなかった」

93歳の大矢耕太さんは当時、国民学校で強い揺れにあい、同級生らと一緒に高台に逃げて助かりました。
津波で多くの家が流され、町は壊滅状態になったと振り返ります。
Q.津波が来ることは、聞いていましたか?
「この周辺で(津波は)90年ぶりでしたから。あんまり子ども心には、聞いたことはなかったと思いますよ」
16人が死亡した新鹿町では、津波の経験を後世に残そうと、住民が津波の到達した場所に石碑を建てました。石碑は南海トラフを震源とする過去3回の地震のもので、現在のハザードマップと重ねるとすべてが津波浸水の想定エリアにあることが分かります。


(名古屋大学 鷺谷威教授)
「過去の記録がいろいろあるので、それを町中でわかるように残しておこうという取り組みがされたんだと思う。日頃こういったものを見慣れることで、どこに行けば逃げられるとか、どれくらいの高さだということがおそらく住民のみなさんの中にすり込まれているんじゃないかと思う」