東日本大震災で被災した宮城県石巻市北上町の「ビール神社」を復活させるプロジェクトがスタートです。なぜ「ビール神社」と呼ばれているのでしょうか。
宮城県石巻市北上町十三浜の鹿島神社には、20日宮城県内のビールメーカー7社と氏子ら約20人が集まり、被災した神社の再建に向け、宮司の話を聞きました。

鹿島神社 岸浪均宮司:
「”ビール神社”というのは昭和になってからの通称です」

鹿島神社は、コメが凶作で日本酒をお神酒として供えられなかった時期に麦で作った酒を代わり使ったところ豊作に恵まれました。コメが穫れるようになってから、お供えの酒を日本酒に戻したところ、不漁不作に見舞われ、再びビールを供えるようにしたことから、地元で「ビール神社」と呼ばれるようになりました。

海のそばにある神社は、震災の津波ですべて流失し、建て直された小さな社だけが、雨をしのぐトタン屋根で覆われています。集まった人たちはビールを供え、社殿の早期再建を願いました。

グレートデーンブリューイング 子安大輔共同創業者:
「ビール神社、日本唯一、つまり世界唯一ということもあるので、ビールをつくる者として縁を感じている」

鹿島神社 岸浪均宮司:
「震災後、氏子が地域から離れてしまい、残っている人の資金では再建が難しい。お声がけをいただき、本当にありがたいこと」

再建には、宮城県内のビールメーカー10社が協力します。年内中の着工を目指し、クラウドファンディングで資金を募るほか、新たに記念のビールをつくる計画です。