「死にたいとしか思わなかった」祖父・松福さんの娘が当時を語る

松福さんの三女・文子さん

さらに戦後、不慮の事故で長男を亡くし、松福さんは人が変わったように妻や娘たちに手をあげるようになりました。愛さんの伯母で、松福さんの三女・文子さんは、当時のことを鮮明に記憶しています。

▼祖父・松福さんの三女・文子さん(91)
「いつもたたかれていた。たたかれて、縛られて、天井に下げられて、本当にうちの親かと思うくらいきつかった。死にたいとしか思わなかった」

伯母・文子さんの当時の境遇は、愛さんの子どものころの姿と重なりました。

▼幸喜愛さん(58)
「父はおじいにそっくりなんだなと。世代を超えて繰り返すんだなと思いました」

愛さんたちきょうだいを言葉と暴力で家族を支配した良秀さんも、幼いころから家族に暴力をふるう父親の姿を目の当たりにしてきたのでした。

父・良秀さんの話を聞く幸喜愛さん

▼父・幸喜良秀さん(86)
「2人の姉と兄が1人、そして父も母も戦争の犠牲者と思っているよ」

良秀さんが手がけた舞台「人類館」には沖縄戦を経験した人たちの心の傷が描かれています。

舞台「人類館」



▼「人類館」の1シーン――
「沖縄の復帰なくして日本の戦後は終わらないと言った総理大臣がおりましたが、彼らにとって戦後どころかいまだに戦争は続いているのであります」

▼山田耕平カメラマン
「幸喜愛さんにとって6月23日はどういう日ですか?」

▼幸喜愛さん(58)
「祖父母にとっても戦争は終わらなかった。自分の命がついえて初めて、祖父母にとっての戦争が終わったんだろうと思いますし、家族にとってはその事実は消えないので、私の家族がなくなった日が私の家族にとっての慰霊の日なのかなと思います」



さらに、愛さんは自らの体験を語ってくれました。

▼幸喜愛さん(58)
「一度殺しかけていますしね。壁にたたきつけてしまおうとしたことがあるんですよ」

愛さんは30代のころ、育児のストレスから1歳の息子を壁にたたきつけそうになったことがあるといいます。思いとどまった愛さんは、祖父の代から続く暴力の連鎖が自身にもつながっていると感じ、戦慄を覚えました。それからは、子どもと接するとき意識的に距離をとるなどして、次第に感情をコントロールできるようになったといいます。

▼幸喜愛さん(58)
「自分が子どものときに父から受けていた言葉の暴力は、自分の子どもを育てることで消化していきました。私自身が子ども時代を取り返したという感覚がありました。三代続いたものを今度は逆流で返せたのかなと思います」

戦争トラウマに詳しい精神科医の蟻塚亮二さんによると、沖縄の社会では、沖縄戦という巨大なトラウマが文化となって人々の思考や行動に影響を与えているといいます。その上で、幸喜さんのように家族の歴史を振り返ることは、トラウマの連鎖を止めることにもつながると話します。



▼精神科医 蟻塚亮二さん
「家族のトラウマを知的に理解することで、世代間を伝達してきた心の傷が次の世代に伝わる機会を減らすことになる。家族の歴史を見つめ直すことは、80年前のトラウマから自分の家族を開放する作業だ」

▼幸喜愛さん(58)
「私の家族の話は、沖縄戦を経てきた沖縄のどこにでもある話。今でもいろんな家庭がいろんな形で背負っている戦後がある。私たちがそれを語ることで『自分たちだけじゃなかったんだ』と思って楽になってもらいたい」