沖縄戦から80年が経ちました。沖縄の80歳以上は、人口の7%です。日本全体でも90%が戦後生まれになり、近い将来、戦後世代しかいない沖縄がやってきます。【戦後80年 #あなたの623】は、胸の奥にしまい込んできた辛い記憶。家族のなかで避けてきた戦争の話題。今しか話せない大切なこと。今だから話せる戦争のことを聞いていく、シリーズ企画です。

連鎖する「戦争トラウマ」幼少期から目の当たりに… 幸喜 愛さん(58) #あなたの623

戦争の体験が心の傷となり、様々な症状に苦しめられる「戦争トラウマ」。その影響は、子や孫の世代にまで伝わることがあると言われています。80年経った今も家族の心に影を落とす沖縄戦の記憶とは。

▼幸喜愛さん(58)
「家に帰ってからの父は、父ではないというか…すごく怖い存在でした」

沖縄市に住む、県議会議員の幸喜愛さん。手にしているのは、舞台の稽古場で父親と撮った家族写真です。

父親は、沖縄を代表する演出家・幸喜良秀さん。沖縄戦や差別、異民族支配など、
沖縄がたどった歴史の不条理を、舞台で表現してきました。一方、家族には別の顔を見せたといいます。

▼幸喜愛さん(58)
「すぐ下の弟は目に余ることがあれば、座れないくらいケツバットされていることもありました。父は笑っていて、きょうだい全員は誰も笑っていない。この親子の写真が当時の私たちの関係をすごくよく表しています」

言葉と暴力によって、家族を支配した父。父は息子に手を上げ、愛さんたちきょうだいを言葉で追い詰めました。
その背景に80年前の戦争が影を落としていると、愛さんは考えています。

愛さんの父・幸喜良秀さん(86)

▼愛さんの父・幸喜良秀さん(86)
「うちの親父は戦が大嫌いでね。もう異常なほど嫌いだったんだよ」

徴兵逃れようと指を2本切り落とした祖父 「非国民」と呼ばれ家族は孤立

良秀さんの父で、愛さんの祖父にあたる幸喜松福さん。10代のとき沖縄にも徴兵制が適用されると、自分が出征すると働き手がいなくなり家族が飢えてしまうと考え、右手の人差し指と左手の親指の先端を自ら切り落として徴兵を逃れました。しかし、周りからは「非国民」と呼ばれ、幸喜家は次第に孤立していきます。

愛さんの祖父・幸喜松福さん

1945年4月、米軍が沖縄本島に上陸すると、松福さんの2人の娘は親の目を盗んで家を抜け出し、日本軍第32軍「石部隊」と合流。軍と行動を共にしました。戦うことを避け、周囲から孤立する父・松福さんへの反発もあったといいます。

▼愛さんの父・幸喜良秀さん(86)
「(父は)いつも捕虜収容所を脱出して2人の娘を探していたが、とうとう最後まで見つからなかった。父親はフラーになっていたが、母親もフラーになっていた」

戦争で娘2人を失った松福さん。娘たちの名を大声で叫びながら村を探し回り、その妻は、茫然とした様子であてもなく通りを歩きまわるなどしていたといいます。