「これまで全部ダメだったので…」

 年が明けて迎えた1月15日、マウンさんは朝から何も食べられなかったという。「もし山手線が止まったら」と心配になり早めに家を出た。午後1時には東京入管に到着した。

 「これまで(入管では)全部ダメだったから…。緊張しています」
 指定時刻の20分前、マウンさんは硬い面持ちで難民関連部門のある3階に向かった。「仮放免」での日本人保証人で、マウンさんが通う少林寺拳法の先生も駆けつけた。

 そして…、待つこと約2時間、マウンさんが戻ってきた。表情は柔らかだ。手元に目を向けると、真新しい在留カードが握られていた。

 マウンさんによれば、名前を呼ばれて入った部屋には入管職員とミャンマー語の通訳がいた。難民申請は認められなかったが、緊急避難措置として「特定活動6カ月 週28時間以内の就労可」の在留資格を与える旨が告げられたという。

 かつて1年9カ月も収容され、先の見えない「仮放免」の更新に90回近く足を運んだ東京入管…、マウンさんは晴れて正規の滞在者と認められた。 

「日本で頑張ってと、みんなから言われている気持ちが…」

 マウンさんが難民認定を求めた裁判で代理人を務めた渡辺彰悟弁護士(全国難民弁護団連絡会議代表)は入管当局や裁判所の対応に疑問を呈した。

 「彼は民主化運動に地道に従事してきて、本来ならば難民として保護されてしかるべき人物だ。クーデターが起きたにもかかわらず裁判でも敗訴し、不運なことにここに至るまで延々と待たされた。なぜクーデターから4年もたって緊急避難措置で在留が認められるのか、まったく理解できない」

 そのうえで「(入管当局が)保護すると表明しながら対応を先延ばしにするのは、当事者にとってより大きな苦痛を伴うことを理解してほしい。彼の姿を見ていると、在留を正規化することは、外国人にとって尊厳を回復する第一歩だとわかる。緊急避難措置の意味は、まさにそこにあるはずだ」と強調した。

 マウンさんは今後、住民登録と国民健康保険の手続きを済ませ、自動車学校の免許合宿に行って就職に備えるという。

 別れ際、日本語でこんな言葉を残した。

 「これから僕の人生が始まります。いま、みんなから『あなたは日本で頑張ってください』と言われている気持ちです」

 人が、人として、尊厳を持って生きることができる。その重さをあらためて教えられた思いがした。  

「国際基準に基づく難民認定を」などと訴える市民団体のデモ(東京・上野恩賜公園付近 1/19撮影)