「助けてくれ」の声があちこちから…2年後には仕事を辞め一念発起
川嶋茂雄さん
「『助けてくれ』って声するがんぜ。そしたら助けなあかんねか。うちら2人だけやから、重い柱持てるわけない。(助けられたのは)たった4人。たった4人。当時、72時間の生存時間を知らんだもんで。うちら1週間活動しとった。あほやから寝んと、1週間」

一方で。
川嶋茂雄さん
「悔しかったよ。無力さ感じた。まるで無力やと思った。いくつかわからんけど、女の人やった。『(このままだと)死んでいく』と言った。俺助けられんだ」

当時は、人手が足りず助けられなかった命もあり、ボランティアの必要性を強く感じたという川嶋さん。助けられなかった女性のことを忘れられずにいました。
それから2年後、一念発起し、それまで営んでいた呉服屋をたたみ、災害支援の道に進みます。

川嶋茂雄さん
「よう考えた、阪神・淡路大震災のときに。俺って生きた証拠がないなと。生きた証拠ちゃ、芸術家でもないし残るものもないし、生きざましかないと。生きざまを見せなあかんと、そう思った。だから災害支援活動に身を投じとる。世のため人のため。それが大事」

災害が起こるたびに現地に駆け付けた川嶋さん。東日本大震災をきっかけに支援団体「富山SAVEふくしまチルドレン」を立ち上げ、全国から寄せられた物資を被災地に届ける役割を担ってきました。
この30年で、被災者とボランティアをつなぐ「ボランティアセンター」が設置されるようになるなど、支援の整備が進む一方、現地で活動するなかで、さまざまな課題も感じています。

川嶋茂雄さん
「炊き出しの問題。容器を持ってこない団体、箸を持ってこない団体、紙コップを持ってこない団体。おかしいと思わんけ。被災地にあるわけないわ。(被災者は)紙コップに名前を書いとる。これだけ重要なが」
ボランティアとして来た人たちの準備が不十分で、かえって、被災者に負担をかけているケースも目にするといいます。