17日で30年となる阪神・淡路大震災。多くの支援活動が現地に入ったことから「ボランティア元年」とも呼ばれています。富山県小矢部市にも、この震災をきっかけに災害支援の道に歩み始めた男性がいます。

ことし、神戸市の追悼会場に並べられた灯籠でかたどられた文字は『よりそう』。東日本大震災など、『ほかの被災地の人たちとも共に歩もう』というメッセージが込められています。


初孫を亡くした人
「初孫が亡くなったからね。もうこれ以上(災害で)人がいなくなることはいやだなと思って」

母親を亡くした人
「母親は1階で寝ていて、木造家屋がつぶれて家具の下敷きに。救助する人たちが来てくれたんですが、反応がないから、声をかけて返事のあるところが優先される。『申し訳ないけど』と行かれて。結局、3日後に自衛隊の人にだしていただいた」

「ボランティア元年」とも呼ばれる震災から30年。
あの日をきっかけに災害支援を始めた男性がいます。
川嶋茂雄さん
「これは万が一に何かあったときに毛布と、これは冬服。タオルと冬服か」

富山県小矢部市の川嶋茂雄さん(64)
東日本大震災や熊本地震など、災害のたびに現地に駆けつけ、被災者を支えてきました。
川嶋さんの原点は阪神・淡路大震災にあります。
川嶋茂雄さん
「ショックやったちゃ。本当にショックやった。こんなに家がやられるもんかって」

6434人が亡くなった、阪神・淡路大震災。

発災当時34歳だった川嶋さんは、連絡がとれなくなった大学時代からの友人の安否を確認しようと、すぐに小矢部市を出て兵庫県尼崎市に向かいました。

友人は無事でしたが、周辺には、建物の生き埋めになっている人があちこちにいて、とっさに体が動いたといいます。
