長野市の繁華街でおよそ半世紀にわたり営業してきたふぐ料理専門店が19日で、その歴史に幕を下ろします。
閉店のときが迫るなか、父から受け継いだ店を守り続けた店主の思いに迫りました。
長野市の繁華街、権堂アーケードの近くに店を構える「ふぐ料理専門店一心(いっしん)」
「グッとくるものありますね」
昭和、平成、そして令和と45年にわたってこの地で営業してきましたが、19日に最後の日を迎えます。
閉店を1週間後に控えたこの日、夜の開店の7時間前から仕込みを行う店主の高津誠司(たかつ・せいじ)さん51歳。
山口県下関から直送される新鮮なふぐを丁寧にさばきます。

長野市内の高校を卒業後、県外のふぐ料理店で6年間修行。
ふぐの取り扱いの認定を受け、28年前の1997年、父が経営する一心で働き始めました。
高津さん:
「(一心は)もの心ついてからの私の人生ですね。ここしか知らないし、家とここの往復で50歳過ぎまできちゃったなという感じです」
その「一心」が19日に閉店を迎えます。
コロナ禍での売り上げの低迷。
そして、築55年となる建物の老朽化などが理由です。
高津さん:
「ちょっと限界が近いなと思いまして、悩みに悩んだ末、今回一回引こうと決断しました」
権堂アーケードに大型商業施設のイトーヨーカドーができ、街が活気にあふれた翌年の1979年。
父・幸治(こうじ)さんが日本料理店として創業。
店の売りになるものをやりたいと7年後にはふぐ料理専門店に。

当時小学生だった高津さんは、店で働く両親の姿を見て、自然とふぐの料理人を目指すようになりました。
高津さん:
「小学校4年の時に将来の夢っていう作文で、両親の後を継いでふぐ料理の職人になるって書いたんです。次の日来たらふぐって(毒にあたると)死んじゃうっていう話になって大騒ぎになって」
高津さんが子どものころ、県内では、まだふぐ料理がそれほど認知されていなかったといいます。
それでも職人として店の暖簾を守ってきた高津さん。
高津さん:
「ふぐという食文化を伝えた意義はあったと思います」
続けてこられたのは、ともに店を切り盛りし2023年に亡くなった、師匠と仰ぐ父の存在でした。














