同性愛への偏見に苦しみ続けた長谷忠さんが、今年(2024年)11月に心不全のため亡くなりました。95歳でした。

 長年「ゲイ」であることを隠し、孤独の中で生きてきた長谷さん。かつて同性愛は“一種の伝染病”や“異常性欲”だと考えられ、長谷さんは「ものすごく生きづらかった」と話す一方、今の世の中に時代の変化を感じているようでした。生前の様子を振り返ります。

過去に詩集や小説を出版 詩で受賞経験も

 大阪市西成区で、月12万円の年金でひとりで暮らしていた長谷さん。部屋の壁には、雑誌や新聞紙から切り抜いた好みの男性の写真を貼っていました。

 (長谷忠さん)「なんていう人か知らんねん。わからへんねん、この人、どこの人か。年格好はわかる。この顔が一番好きやねん。いいと思うやろ?」

 長谷さんは時間があると、短歌や俳句をしたためていました。実は、過去に詩集や自身の半生を描いた小説を出版しています。創作活動の時に使う名前は「康雄」。34歳のときに、詩の新人賞で最も歴史のある「現代詩手帖賞」も受賞しています。

 (長谷忠さん)「僕の場合は文学に惹かれたのが大きかったよ。ひとりの詩人になれたことが僕の誇りやったからね」
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 本当の自分をさらけ出すことができたのは、「康雄」の名で書いた詩や小説でした。1960年代の自らを描写した小説には、次のような一節があります。

 『男たちに誘われて温泉地のストリップショーを見に行っても少しも楽しくなかった。(中略)男子部員の手前もあって興奮した顔をしていた』
 『よほどの覚悟がなければ生き通すことはできない。(中略)性を通しての自分に対する一生の恨みつらみであり、運命への憎しみでもある』