「情報の隠ぺいが娘の死につながった」と訴え当局の監視下に そして決死の国外脱出

楊さんは「地元政府が当初 新型コロナを隠ぺいしたことが娘の死につながった」などとして地元の政府を相手取り訴訟を起こそうとしたが、訴状は受理されなかった。そして、地元当局の監視下に置かれるようになり外出するときは尾行されるようになったという。それでも裁判をあきらめなかった楊さん。夫は当局との戦いをやめようとしない楊さんのもとを去っていった。

新型コロナで娘を亡くした 楊敏さん
私は地元政府が情報を隠ぺいしたことの責任をとり謝罪するよう求めました。過ちを犯したのだから謝罪して欲しいと、とても小さな要求だと思います。やがて私は当局に尾行されるようになりました。行く先々でカメラを向けられ写真を撮られるようになりました。彼らは私の生活の大部分に侵入してくるようになりました。これ以上中国にいることはできなかった、いたら窒息死してしまうと感じたのです

耐えかねた楊さんは23年3月、隣国のラオスに出国。タイやトルコなどの国を経由して現在はオランダで難民として生活しているという。

新型コロナで娘を亡くした 楊敏さん
「私が武漢を離れると住んでいたコミュニティの監督者から電話がかかってきて『どこへ行ったのか?私たちも同行したい』と言われました。私は携帯のカードを捨て、命の危険を感じながら運転し続けました。その後、ラオスに足を踏み入れたとき安全でないことは分かっていました。それでも中国から脱出できたことは幸運だと感じました。今は難民キャンプにいますが中国にいたときよりも自由だと感じます」

「罪を償わせることが娘にとって最高の贈り物」真実のために今後も戦う

新型コロナで娘を亡くした 楊敏さん
「私の家族は壊れてしまいました。この5年間は私の人生をすべて変えてしまったのです」

新型コロナによって“人生が変わってしまった”という楊さん。最後に今後どうするのか?聞いてみた。

新型コロナで娘を亡くした 楊敏さん
新型コロナを通して政府が学んだことは情報の隠ぺいと口封じだけでした。私にはもう子どもはいませんしオランダに親戚もいません。残りの人生は真実を明らかにするために使いたいと思います。私は娘に何もしてあげることができず、良い母親になることができませんでした。政府に罪を償わせることが娘にとって最高の贈り物なのです」

今後も真実を明らかにするために戦い、政府に謝罪を求めていくという楊さん。なぜ娘は死んでしまったのか?納得できる答えが返ってくる日はくるのだろうか。

取材後記

今回取材した楊敏さんは新型コロナが流行し始めた際の武漢政府の初動対応に疑問を持ち続けていた。初動対応は正しかったと思うか?武漢の繁華街で聞いてみた。

武漢市民
「武漢政府の対応は素晴らしかったと思います。そうでなければ“英雄の都市”とは呼ばれないでしょうから」

武漢に観光に来た中国人
「武漢は中国国内でも対応が一番すごかったし最も早く対処していたと思う」

中国で武漢はコロナ禍を乗り越えた“英雄都市”として称えられていて、今回街で話を聞いた中国人も一様に政府の初動対応を評価した。

一方、批判の声はいまも徹底的に封じ込められている。11月には新型コロナ感染拡大の初期に武漢の実態を発信した市民ジャーナリストが逮捕された。一度、実刑判決を受け、その後刑期を終えて出所していたにもかかわらず再び拘束されたのだという。

新型コロナの対応をめぐっては日本を含む多くの国が混乱した。だからこそ、当時どうするべきだったのか、今でも議論が続いている。一方で議論すら許されない中国。これで、次なるパンデミック(世界的大流行)に備えることはできるのだろうか。

JNN北京支局 松尾一志